朝がカーテンの隙間から漏れてくる。早朝6時。寝なきゃ。

 今日も眠れないまま、朝まで起きてるなあ。

 窓から白い光が入って来る。YouTubeからマイルス・デイビスが流れてる。深夜に聴くと、なぜだかマイルスはとても優しく、ぼくの抱えているものを全て受け止めてくれているような気がする。だからつい、マイルスをかける。
 
 夜眠れないのは、やり残しがあるからなんだって。充実感が足らないから、満たされたくて、何かを探し続けてしまう。本を読む。アルコールを摂取する。音楽を聴く。そして結局、何も見つけられないまま、今日も朝になってる。何十年間も、もちろん例外はあるにせよ、毎日これを繰り返してた気がする。同じとこでグルグル回ってる。
 
 毎日、幸せについて考える。果たして「幸せ」とはなんだろう?どうすれば「幸せ」が感じられる?ぼくが本当に欲しいのは、「幸せ」なんだろうか?
 
 こんな風に、毎日「幸せ」について考え続けてしまうような人生を送っているのは、よほど不毛な毎日を生きている証拠だろう。水泳選手は、泳いでる最中に「果たして水泳とは何か?」なんて、決して考えたりしない。そんな余力があったら、まずは泳ぐだろう。
 
 
 ☆
 
 昨日、みかさんとカラオケに行った。みかさんというのは、一度離婚して、それからよりを戻した、ぼくのパートナーだ。
 
 ぼくは初期のサザンを唄っていた。ぼくは初期のサザンがとても好きだ。男の情けなさやダメダメさが、甘く、切なく、ほろ苦く唄われている。男にとってのセックスって、なんてバカバカしいほどダメダメなんだろう。
 
 唄っているうちにそこと同調してくる。壊れそうな気持ちになってくる。桑田佳祐が他人の気がしない。ぼくはちっぽけで、惨めで、情けなく、やり切れなく、そしてただひたすら女の子を求めている。深夜のオス猫がメス猫を求め、一晩中惨めな鳴き声を上げるように。
 
 ぼくは唄いながら、彼女にくっつく。ちっちゃくなる。彼女の二の腕に額をくっつける。温かい。柔らかい。彼女の匂いがする。まるで小さな子どもに戻ったようだ。ぼくは、もし傍から誰かが見ていたならば、どう見てもみっともなく、恥ずかしく、バツが悪いほど、ただの甘えっ子になっている。だが、ドアの締まった深夜のカラオケルーム。誰も見る人なんかいない。
 
 「好きだよ」と言う。「愛してる」と言う。何度も繰り返す。単語の意味が本当にわかっているのか、自分でも疑問だ。猫がにゃあにゃあ鳴いているようなものだ。でも、少しでも、彼女に近づけた気がする。微かに、温かみが増す。唄い続ける。あっという間に、3時間が経つ。
 
 深夜の駐輪場に自転車を取りに行く。料金はぼくは200円。彼女も200円。夏の匂いがする。今年も暑くなりそうだ。
 
 いつものように自転車で、彼女の家まで彼女を送っていく。国道を渡り、坂道を降りる。つまらない冗談を言う。笑う。共通の知人のうわさ話をする。未来の夢に関して語る。高校生みたいだ。
 
 彼女を家に送り届け、ぼくは一人自転車を転がして、自分の部屋に戻った。眠りたくない。まだ、何かやっていたい。何かが足らない。
 

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 そして今、朝の6時過ぎ。寝なきゃ。