自己紹介

 このブログを、今までぼくのことを全く知らなかった人が読むことを想像してみた。微かな恐ろしさ。社会生活が苦手で、できれば、可能な限り引きこもっていたい自分がいる。

 
 51歳、男子。右利き。辰年生まれ。血液型0型。離婚は2度している。今は、離婚したパートナーとよりを戻し、籍を入れず、別居したまま仲良くしている。このまま末永く幸せに暮らせたらいいなと思う。
 
 職業は心理療法のようなもの。なぜ「ようなもの」がつくかというと、自分でも、自分のしていることが果たして心理療法であるのか、よくわからないところが多いからだ。
 
 資格は一切持ってない。見よう見まねの自己流だ。自己流。自分流とか、オレ流というほど立派なものじゃない。「アドバイスはしない」というのがこの世界の基本原則だが、ぼくは結構、平気でアドバイスもする。情報や考え方を教えることも多い。単に雑談しているようにしか見えない時も多いだろう。

 
 その場に応じて、臨機応変、自分の出せるカードは何でも出す。お客様が、自分の払った料金に値すると思える体験ができ、「この料金ならまた来たい」と思えたなら、なんでもいいと思っている。顧客満足。時間とサービスを売って生活してるだけだ。学会や団体に所属していたら、問題視されるかもしれない。
 
 だが幸いなことに、ぼくはありとあらゆる集団、団体に一切所属していない。何をやろうが、何を言おうが、自己責任が取れる限り自由だ。重大な失敗をやらかし、野垂れ死んだとして、ぼくの自由。かつて、写真家・藤原新也は「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」と語った。
 
 「自己責任」という言葉は好きだ。清々しい響きがある。自分で責任を取るから、何をやってもいいんだと思う。本当にそう思う。
 


 きちんと診断されたことはないが、発達障害の傾向がある。昔、まだ世の中でADHDという言葉が今ほど知られてない頃、テレビで特集番組が組まれた。ぼくは見ていない。何人もの知り合いから「あれは、キミのことではないか?」と、言われた。アスペルガーの傾向もあると、何人かのカンセラーに言われた。学習障害の傾向もある。学校で座ったまま授業を受け、ノートをとり、内容を頭に入れることが、どうにも苦手だった。
 
 そういう意味ではとても傷つきながら、ひがみながら育った。自分は社会不適応の欠陥品だと思い込んでる。そんな歪みが、今のぼくの性格やものの捉え方、考え方に大きな影響を残している。でも、それがぼくなのだ。それでいいとしか、言い様がない。
 
 「何でもいい」、「どうでもいい」が口ぐせ。余程のことがない限り、実際問題、たいがいのことは何でもいいし、どうでもいいのだと思っている。
 
 今日も生きている。