はじめに

 言葉なんて信じてなかった。語っても語っても語れない何かが残ってしまう。一番肝心なところは言葉から漏れてしまう。言葉はいつも不完全で、不正確で、不器用だ。

 

 コミュニケーションなんて信じていなかった。誰かに本当のことが伝わるなんてありえない奇跡、あるいはお伽話、夢物語の類だと思っていた。変なものを信じたり、期待して傷つくのも嫌だと思っていた。

 

 でも、どれだけ苦い気持ちを味わい尽くしたとしても、ぼくは語ることを止めたりしなかった。どれだけ諦めようと頑張っても、結局のところわかってもらいたいという気持ちは消えなかった。わかってくれる誰かを、一日二十四時間、心のどこかで求め続けていた。人間は信じていない程度の理由で、深いところで求めていることを求めることを止めたりしないのだと思う。

 

 無冠の帝王、ベネズエラの戦慄、飢えた黒豹、等々。多くの異名を持つボクサー、カーロス・リベラは、受けたパンチで後頭葉にヒビが入って廃人となり、まともに歩けないほどよれよれになったが、ボクシングだけは忘れなかった。もしぼくがパンチドランカーかボケ老人になったとしても、深夜の上野駅で壁に向かってしゃべり続ける酔っぱらいのおじさんのように、一人で語り続けているのではないか?

 

 「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」というタイトルの詩集を出したのは谷川俊太郎だ。大学生の頃、ぼくは彼の詩集を繰り返し読んでいた。ぼくは今年の4月で51歳になった。カレーの大盛りを頼むのがきつくなった。髪の毛の半分は白くなっている。まだ頭に多少なりとものまともさが残っている今のうちに、ぼくも誰でもない誰かに向かって、何かを語り始めてみようと思う。